先日、消防団の旅行で下関に行きました。20数年前、大学に入りはじめての夏、中学時代の友人と二人、韓国に旅に行きました。下関から釜山に、フェリーに乗って。バスと電車でソウルまで。今回、何か思い出すかなと密かに考えていました。
駅前からフェリー乗り場へ、夕暮れの町並みは冷たい風が吹きどこか寂しく、歩き始めてすぐに気がつきました。何も思い出さないことに。少しうろたえましたが、そういうことかと考えました。せめてフェリーを。 おそらく19才の自分が歩いた道を歩き、眺めたと思う空を見て、いつのまにか自分の思い出ではなく、19才の自分を、他人のように感じながら歩きました。
思い出も20年以上の時が経つとそうなるのが自然でしょう。そんなこともあった。というのはこんな感じかもしれません。失われた思い出は、再訪、旅という「いま」の現実感に満たされます。もちろん、覚えてはいます。夏休み奥日光のダム作りの土方に出て旅費を稼ぎ、初めての海外にぎこちなく興奮し、やはり夕暮れ、船出したこと。
楽しかったな釜山、場末のホテル、朝の市場に集まるトラックのクラクション、眠れなかった。時代遅れのゲームセンターに集まる若者。ハングル、日本語、国境をいくバス。有刺鉄線。男二人、ピンク色の照明のラブホテルの部屋で泊まった。相方は海賊版の写真集サンタフェをお土産に買っていた。覚えてはいる。
でもそれなのにその頃の自分が何を考えていたか、何を感じていたか、まるで他人を眺めるような気持ちで、覚えていない。20年というのはそれなりの年月です。
下関にはリトルコリアがあります。夜中ほろ酔いで歩きました。ほとんどの店がシャッターを下ろしていました。かすかにトウガラシの匂い。関釜フェリーの待合室まで行きました。フェリー乗り場では運び屋の化粧の濃いおばさんがいました。釜山へ帰る若いカップルもいました。
このまま記憶を辿るとどうなるでしょう。もうそこには現実とフィクションが混ざった世界がありそうです。ボクは19歳のボクの後をつけ下関の夜を歩くのをやめて、ホテルに戻ります。肌寒い風が気持ちいいです。旅って、どんなときでもどんな形でも、楽しいですね。
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