2018年11月5日月曜日
きのう、久しぶりに家族一緒に出かけ、ミュージカルを観ました。
熊本の劇団「劇団 天然木」の「ビー子は飛んでいった」そして「大矢野原に立って」
ボクに沁みました。演劇のことばに、ダンスに、音楽は。それはボクには演劇に思えず、眼の前でまるでそのことが起こって、そのことを体験し、まるでそのように一緒に感じている、そういう体験だったので、ボクにはその物語が、自分の物語のように思え、まるでミツバチが、まるで養蜂家が、まるでイチゴ農家が、その登場するひとり一人、一匹いっぴきが、自分のようで、自分のようで、そして舞台が自分の農業のようで、畑で何かを考えているときと、同じ頭の働き、同じ身体の感覚がよみがえるので、演劇は、きっと農業と、あるいは観客のひとりの生活や仕事と、子どもたちも興奮しているので、やっぱり生活のそれぞれと、きっとつながっているのだなァと、ミュージカルは不思議なものだナァと思い返しています。物語は見てのお楽しみなので、どんなストーリーかを話すわけにはいきませんが、「いのちの時間軸」を辿りながら、ビー子は誰なのか、ボクは誰なのか、話に引き込まれていくと、出会いと別れ、が待っていました。三郎君と一緒になって、泣きました。
「大矢野原に立って」双眼鏡をのぞく。美しい歌声でうたわれるのも、一人の人間のつよい立ち姿。お話は身近な土地の物語から、ボクたちの国の憲法へ。その歌われる憲法は、ボクの知っている憲法で、ボクが小さな頃に両親から教わった同じものでした。そしてまたものがたりは、一人一人の心の中に、ふるさとに。ほんとうに、どうしたらこんな物語が思いついて、表現できるのでしょう。ほんとうに、「劇団 天然木」、すごい。感動しました。
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