大きな時間もあれば、小さな時間もある。
王の暦もあれば、生活の暦もある。自分だけの時間も。
カレンダーはあたりまえの道具のよう、大切な目印のよう、ほんとうのカレンダーには実はカレンダーの作り方、がかくれている。あらゆるシンボルが、時間の不思議を伝えているよう。
時間だって迷ったり、止まったり、弱ったり。
地震の後、あたりまえのように、自然をを支えていた大きな石が、畑に現れ、ある朝突然に自分の身長を越える巨石が、畑の真ん中に、もう動かない大きさで、出現しました。びっくりしました。3年経って、ようやく畑の下に並べられ、埋め戻されようとしています。
そして川では、今また真っ直ぐな線が引かれて、測られ、畑の真ん中に、新しい川ができようとしています。このテープのような、真っ直ぐな川になるそうで、あふれないように。
もうすぐ畑の大きな石ともお別れです、へんてこななつかしい風景ともお別れで、
平らな時間、まっすぐな時間、測られた時間では、生きられないし、
どの道、誰の時間を生きることもできるわけない、カレンダーだって、つくりながら進むしかない。農業して、いろんなものと手をつないで、いろんな人と手をつないで、いくしかない。泣くしかないし、笑うしかない。
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