ヒヨってもいいのでは。
日和見というのは今、朝ドラ「おかえりモネ」が面白いのだけれど、気象予報、観天望気のこと。自然の変化を観察し、観測し、不安を日常に変える、災害から立ち直る、いろいろで農業にとっても天気予報は大切。でもさすがに今回の長雨はマイッタ。太陽が出ないので野菜の成長が止まってしまいました。お届け予定の皆様ご迷惑をお掛けします。また太陽が出たら、張り切ってお届けします。
自然は「制御」できない。それでも強く生きるために王様は暦を作り生活を支配する。農家も漁師も命がけで自然の様々な兆しを読む。日和山に登って遠くを眺める。兆しを見つめる。それが日和見。それがポジティブな意味合いだったら、もう一方の意味合いも広く言葉の中に生きていて、それが「ヒヨる」っていうのでは。今の社会では日和見主義、ヒヨるというのは残念な感じ。強い主張や、意見、正義とは遠く、一貫性、主体性、責任感のない行動。ヒヨることに潜む微かな不安は、恥ずかしく忘れ去られてしまう。
でも、そんな微かなもの、不安、兆しも本来制御できない自然の一部、自分という「制御できない自然」の一部ではないでしょか。ポジティブな面、ネガティブな面、隠しきれない両面がある。
自然も、コロナも、制御できない。長雨の中オロオロしても、ワクチンにヒヨってしまっても、いいのではないでしょうか。
宮田先生の本、「日和見」、日知り、聖。そして南の島に住む「ピヨリピトゥ」、それは共同体の中にいて、家にずっと閉じ籠っている「居人」、天候を判断し、運命を占う人。
コロナと長雨にはなかなかスリリングな本です。
0 件のコメント:
コメントを投稿