2014年12月20日土曜日

食べ物として。

 友人が自家用として飼っていた鶏を、殺め、肉にしました。ボクは自分たちで養鶏を始めるまでは自分で鳥をしめ、食べる機会も無く、抵抗もありました。今回、養鶏の先輩、友人に教えてもらいながら、体験し、立ち会うことにしました。
はじめて鶏をしめました。
 そして解体を習います。各部位、骨の作り、内臓のそれぞれ、先輩の椛島君は丁寧に教えてくれます。知っているということは力があり、手さばきがいいこと、豊富な経験は安心感があります。知ることは大切だと感じます。
 自分たちは農家ですが、ボクの食べ物に対する思いはどのくらいの思いでしょうか。たべものを大切にしているでしょうか。無農薬の野菜は健康にいい、環境にいい、と考えられています。それはそれで大切な考えだと思います。ただ、だからなんだろう。農家だから食べ物を大切に出来るか?ボクにとってはそうではないです。仕事ならなお、時にはそうもいかないときもあります。
 実際、一農家の経験に比べて、食べ物、人間と食べ物の関係はもっととてつもなく広く、大きいものでしょう。そしてあれが好きこれが好き、食べすぎ、飲みすぎ、たべものは個人的な体験でもあります。食べることは生きること、あたりまえのことですが、あたりまえのことは現代社会では見えにくいものです。自分もそうです。ボクが農業を始めた動機のひとつでもありますが、大切なものを大切だと感じる、それがどれほど難しいか、自分が食べ物を大切にする、それがどれだけ出来ないかを知っています。だから農業をする、続ける。わからないなりに食べ物の生産現場にいる、そういう生活を続けなければ、そうどこかで思います。
子どもたちはどんな風に感じたでしょう。
ボクの感想として、ボク自身、餌をあげ、自分で飼っている、生活の一部、仕事として鶏を飼っている、そういう経験を経て、このような機会を得たことはよかったと思います。いろいろなことを知ることはいいことでしょう。

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