野菜の成長にひっぱってもらって、夏に向かって歩いていまーす。
2021年6月25日金曜日
2021年6月23日水曜日
2021年6月20日日曜日
2021年6月16日水曜日
2021年6月15日火曜日
畑はもう秋冬の野菜パックのお世話が始まっています。
2021年6月14日月曜日
マスク
暑くなってきた。ウイルスを取り込まないように、吐き出さないようにマスクをしているけれど、いい感じに外さないとかえって病気になる。
マスクをつけると楽、という。人もいる。そうかもしれない。顔の筋肉が休める。
以下、吉本隆明の講演を、https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/text-a165.html から引用。
……ひげは何か触覚の役割から解放されてしまったという説き方をしています。そうしますと、どういうことを意味するかというと、例えばネズミの場合には触角の役割をするひげの一本一本を動かしている筋肉というのが、人間の場合には全般的に顔の表情を動かす筋肉に変わってしまったということなのです。本を正せば、要するにネズミみたいにひげの一本一本が動いて、それが触覚の役割をする哺乳類的な役割を持ったけれど、直立するようになってからだんだんそういう役割から解放された。つまり、ひげの一本一本を動かす筋肉なんていうほど立派な筋肉は人間からはなくなってしまったけれども、ネズミのひげを動かしている筋肉に該当するものは大体人間の顔の全般に行き渡っている。だから、人間の表情を動かしているのは、顔全般で動かしているのは、要するにネズミにすればネズミのひげを動かしている筋肉と同じものが、人間の場合には人間の表情を作る動きに作用しているという説明の仕方をしています。
その説明の仕方は大変おもしろい。つまり、機能と言いますか、働きの面から人間の表情を考えて、一体どういうものが発達したか、退化したかはわかりませんと言っていいかはわかりませんけれども、それが人間の表情をいろいろと変えさせたりしているのかということの説明として、ネズミの鋭敏なひげとそれからひげを動かしている筋肉とを比較することによって、大変よくそういう機能的な意味での説明を付けていると僕は思います。養老孟司さんという人もそういう考え方をしています。
2 脱肛と魚のエラ――三木成夫の考え方
専門的に言うと解剖学者というのか、脳生理学者というのかわかりませんけれど、養老さんの先輩筋に当たる三木成夫さんという人がいまして、僕はものすごく偉い人だと思っています。もう数年前に亡くなりましたけれども、この人は顔というのをどういうふうに規定しているかというと、人間の体の発達史に即して人間の顔とは何なのかということを言おうとしているわけです。つまり、機能の面からではなくて、動物から人間に発達してきたものとしての人間の顔とは何かということを三木さんは言っているわけです。
三木さんの言い方をしますと、人間の顔というのは形から考える考え方をすれば、人間の食道まで通っている腸管がちょうど内側から外側へめくれ返ったものだ。肛門で言えば脱こうというのがあるでしょう。つまり、痔の病気に脱こうというのがある。この脱こうと同じで、要するに脱こうの上のほうに付いているのが人間の顔だというのが三木さんという人の考え方です。腸管の延長線が頭のところに来て、それが開いてしまっているというのが人間の顔だと考えれば大変考えやすいし、発達史的に言いますとそのとおりで、そういうふうに考えると人間の顔の位置付けができると、三木成夫さんという人はそういう説き方をしています。この説き方はとてもおもしろいので僕なんかの好きな説き方です。つまりこれを発生史的な説き方といいます。人間が発達してきて、それで人間にまでなったという言い方が、あるいはもっと、人間の定めだったのだ。定めだったんだけど、だんだん陸に上がってきて哺乳類になって、それで人間になったのだという発達した過程というのがあるわけです。その過程から言いますと、つまり過程からいう考え方というのをこの人はよく非常に綿密に、非常にわかりやすく、しかも非常に一貫した考え方をとっていて、結構腸管が上のほうでめくれているというのが人間の顔だと考えれば妥当だし、一番よいと言っています。
もう一つ解剖学的に言うと、魚にえらというのがあるでしょう、人間の顔というのはえらと同じ、えらが発達したものだと考えると大変考えやすいと三木さんは説明しています。顔ということを、あるいは表情をしている顔全般ということを、筋肉も含めて全般ということを、魚のえらが発達したものだと考えると考えやすいということを言っています。
今言いましたように、腸管の延長線が人間の顔の表情、顔ですから、顔の表情の内臓感覚というのがここにきているということになるわけです。三木さんの説明の仕方をすると、口にとっての舌というのだけは内臓感覚だけではなくて、いわゆる感覚器官的なと言いますか、内臓ではなくて、外臓、外臓というのはおかしいですけれど、外とつながった、つまり感覚器官と同じような感覚が舌と唇には入っていて、そこが一番顔の中で敏感な箇所であるという説明をしています。ですから、人間の舌というのは要するに喉の奥から出ている手だと考えるとものすごく考えやすいのだ、そういうふうに考えると非常にわかりやすいのだということを説いています。僕が知っている範囲では、人間の顔についての二つの説き方というのは、人間の顔の機能と役割と解剖学的な性質について説かれている説き方というので、大別してその二つがあると思います。その二つで大体において、顔についての考え方は全部尽きていると言ってもいいのではないかなと思います。
2021年6月13日日曜日
コロナ、オリンピックを自分の(農作業ことば)言葉で話す方法。
コロナ、オリンピックを堆肥化しよう。
堆肥化の特徴
ここでいう堆肥とは、仮に、畑、農作業、生活で出る生命体(の死骸)、鉱物、人工物、汚染物質など、そしていわゆる「情報」も含めて、それらを、積み重ね、微生物、他者との共生関係の中で発酵させたもの。その中で腐植のように何らかの安定した状態が生まれたもの、としていこう。
誰が何を堆肥化するのか?
堆肥化は生産、分解のサイクル、輪なので、それぞれの農家、有機物、微生物、鉱物がそれぞれ共生関係の中で、堆肥化の状態、腐植、コロイド状の安定として形成される。主体性は後退する。
堆肥化においては生産と分解、生と死は等しい。生体、主体、共に分解され再び再生する。堆肥化とはその存在の場である。堆肥は堆肥としてあると同時に、様々な生きものの生存の場としてある。
堆肥化においてはそれぞれの多なる存在が共生する。
2021年6月11日金曜日
高森の幼稚園「おてんとさん」の子どもたちと作った堆肥場。
畑の草だとか、冬の落ち葉を集めて、畑の栄養、堆肥を作っています。毎回少しずつ増えて、今回は収穫を終えたスナップエンドウを投入。
積み重ねはじめて半年ほど。どこからともなく増殖した微生物がせっせと分解しています。
冬の落ち葉も随分粉々に。そして落ち葉と落ち葉のすき間にはコロコロとミミズの糞。いい栄養になるといいね。
コロナと堆肥化。
ぼくたちは堆肥化させる。
堆肥とは畑の栄養、肥料のこと。牛糞、鶏糞、豚糞、そして草、籾殻、落ち葉、身の回りの植物、有機質を積み重ね、適度な水分で発酵させたもの。分解したもの。
畑の作業では畑の表面で野菜を生産する一方、いつもその内部で、畑の土を堆肥化させている。畑の土に野菜の生産に適した必要な有機質を補充し、それを分解し、ふかふかの状態にする。ぼくたちはせっせと堆肥を運び込み、せっせと土の中に緑肥、雑草、野菜を鋤きこみ、微生物たちが分解し、発酵する。そしてそのふかふかの土を作る。
畑にとっての堆肥化は、人間の個体にとっては腸内の細菌のバランスを整えるようなものだろうか。農家は畑でも、自分の腹の中でも、分解し、堆肥化している。腹の中、腸、腸内環境の主役はぼくたちではなくて微生物。ぼくたちは腸の中で微生物を飼育し、育てている。生産と分解、堆肥化は分けられない輪のようなものだと思う。細胞、細菌、微生物の総体が自分だろう。
表面的な野菜の生産、人間の明るい社会活動の一方で、堆肥化ということに注目すれば、野菜を育てながら分解し、活動しながら死んで行く。分解する。僕たちの生体の細胞は数ヶ月で総入れ替え。表皮から、あるいはおしっこやウンコとして、どんどん老廃物を、自分の死体を排出する。そしてそれをまた堆肥化して、野菜を育てる。この堆肥化のプロセス、輪こそ農家の姿であり、ぼくの、無数の腸内細菌に生かされている、ぼくの個体としての輪郭だろう。
農家のぼくには数少ない地に足のついた言葉、それが堆肥化だ。ほぼ20年。それ以外のことは知らない。腐葉土を作り、堆肥を運び、畑を耕し、堆肥化する。それ以外に何も知らない。知ってはいるけれど、行動したのは堆肥化だけ。畑を堆肥化し、自分のはらを畑化し、堆肥化する。本当にあきれるが、堆肥化だけ。そして堆肥化とは死体を分解してふかふかにすること。それが土だろう。
今、コロナがあり、オリンピックがあり、政治があり、そして何より梅雨の本番。深呼吸の出番。野菜が無事に育つだろうか。畑が無事だろうか。コロナも、ワクチンも、オリンピックも堆肥化させよう。それ以外の畑、ウイルスの行き場、ワクチンの行き場、情報の行き場を知らないし、畑では堆肥化する以外にすることはない。
2021年6月10日木曜日
今朝の空。好きな雲。
気象では、雲の名前のは、雲のできる高さ、2000mとか10000mとか、とその雲の形。層のような、積、積み重なった、などのかたちの特徴によって10種類に分類されている。10種雲形。
・巻雲(けんうん):すじぐも
・巻積雲(けんせきうん):うろこぐも、いわしぐも
・巻層雲(けんそううん):うすぐも
・高積雲(こうせきうん):ひつじぐも
・高層雲(こうそううん):おぼろぐも
・乱層雲(らんそううん:あまぐも
・層積雲(そうせきうん):うねぐも
・層雲(そううん):きりぐも
・積雲(せきうん):わたぐも
・積乱雲(せきらんうん):にゅうどうぐも
写真の雲は高い層の雲か、巻雲か。
巻雲は錠、あるいは塊の部分から筋のように尾を引くことがあります。地上から見るとすべて同じ高さに見えますが、塊と尾の部分は高さが違っています。塊のところで雲粒(氷)ができて、大きくなった雲粒(氷)が落下しながら蒸発しています。また、巻雲がある高さで上空ほど風速が強いと、雲粒ができる部分はどんどん先に進み、そこから落下する雲粒は雲粒ができる部分からおいていかれるようになります。このため、雲の塊と筋の先っぽの位置が違っています。(バイオウェザー、お天気豆知識)→リンク