夏至を過ぎて、いよいよ夏の本番に突入です。
カボチャのツルもいよいよこれからです。いい花咲かせて、いい実をつけて欲しいです。
今年は、「メルヘン」、「栗五郎」、「えびす」、「かちわり」、「かんりー2号」、「バターナッツ」、「神田小菊」、「鹿ヶ谷南瓜」、「味てんぐ」、「飛騨南瓜」、「銀河」、「栗美人」「ロロン」「打木赤皮甘栗南瓜」を種まきしています。色々比べてみたいです。
そして草生栽培、リビングマルチとして大麦「てまいらず」を利用しました。これも楽しみです。
冬至カボチャ、という言葉があります。
冬至にかぼちゃを食べると元気で過ごせる、という意味があります。冬至というのは一年で一番日の短い日ですから、冬の極みとも考えることができます。もちろん最も寒いのはそのひと月後、大寒の頃かもしれませんが。その冬の極みには野菜も少なくなるでしょうし、保存のきくかぼちゃを食べて元気に過ごそう、と伝えられたものかもしれません。その時代のキャンペーンかもしれません。それに乗って、たのくろでも冬至カボチャを栽培します。
冬至があれば、夏至もあるわけですが、今年は6月21日でした。
夏至は一年で最も昼の長さが長い日です。その日を境にまた日が短くなって行きます。そこでたのくろ農園の冬至カボチャはわかりやすく、夏至のあたりに蒔いて、冬至に食べよう。という企てです。
大きな星のリズムを体験しながら、カボチャの育って行く時間を経験しながら、冬至カボチャを楽しみにしよう、と思います。
今年はカボチャの栽培に目覚めて、その中でも農作業の基本である敷き草作業の大切さを再認識しました。それはカボチャの栽培にもとても大切な作業です。カボチャ栽培の肝はほとんど敷き草にあると言っても過言ではないような気がします。
敷き草、はあぜの草をメインに畑の身近な草を利用します。あぜの草は最も太陽エネルギーを効率的に利用している存在です。畑の野菜の栽培は苦労しますが、あぜの草は自然に生えてきます。そのあぜの草を敷き草として利用する。その栽培技術を自分は「たのくろ栽培」と読んでいます。たのくろとは田んぼの畔という意味の俗語、方言です。畑の身近な草を敷き草として利用しながら、かぼちゃを栽培しよう、と考えています。
冬至カボチャをたのくろ栽培する。今一番夢中になっていることがこの、冬至カボチャのたのくろ栽培、です。
というわけで昨日の夏至に、カボチャのタネを蒔きました。
「かんりー2号」と「夢味」です。どうぞ楽しみにしてください。
草成栽培に挑戦中ですが、大麦の「てまいらず」はこの先どのような生育になるのでしょうか。すでに実践済みの友人に訊ねると「7、8月にかけて立ち枯れる」ので、それより先につる先が伸びるようであれば、ドラム缶などで大麦を踏み倒す、というアイデアを聞く。カボチャの種まきと、大麦の種まきが同時でしたが、実際のベストは、マルチの大麦なりエンバクを4月にはは種すべきとアドバイス。確かに、改善の余地があります。今回はギリギリで刈り払い機できる予定です。
バターナッツカボチャ。ポタージュには最高という評価もありますが、使い慣れている人もいれば、そうでもない人もおられます。
ズッキーニは過去最高の収量。もう一株から11本目になります。
ブルーベリー。
「かちわり」は葉が大きくなりすぎています。元肥が多すぎのようです。
植え付けは遅かったのですが、梅雨前になんとか間に合ったじゃがいも。メークイン。今日明日で掘り上げたいところです。
小雨の朝、かぼちゃ畑に行くと蜂の羽音が聞こえます。写真は花粉まみれのミツバチ。
自分はこんな雨では交配できないな、と諦め掛けていましたが、花粉にまみれたミツバチを見ているうちに、自分の考えの浅はかさに気づきました。
確かに人間の生産活動を中心にすれば雨の日の受粉の難しさも、ミツバチの活動も、例えばビニールハウスにかぼちゃを栽培すれば、一番効率よくかぼちゃの実を育てられる。天気にも虫にも関係なく、かぼちゃと人間だけの関係がシンプルで効率良い。
でもその考えは農業という世界のほんの一部。農業は人間の生産活動であるというのは農業の一つの側面に過ぎない。広く深く考えれば、人間も農業の一部分。そこには自然の複雑な関係の網目があって、人間とカボチャ、かぼちゃと天気、かぼちゃとミツバチ、その網目を全て把握することは不可能でしょう。ミツバチとモグラ、ミツバチと太陽、無限に繋がって行きます。
つまり花粉にまみれたミツバチを見ると、「ああ、ミツバチがズッキーニの花粉に喜んでいるのなら、それでもう十分。農業をしていてよかった。」そんんな気持ちにもなるのです。例えズッキーニやカボチャの受粉がうまくいかなくても、カボチャが売れなくても、もうミツバチのために少しでも畑が役に立ったならそれでよかった。畑にはそう思える瞬間が時々あると思います。
人間のためだけはない、誰々のため、という目的を超えた畑を続けよう。そう思います。