2016年12月16日金曜日

2016年12月15日木曜日

阿蘇も雪が降り始めました。市内に向かう道は峠越えの道、通行規制が始まりました。俵山トンネルのバイパス通行開始は24日だそうです。通勤や通学、みな神経をすり減らしながらの道行きです。安全第一で。

 先日、自閉症の詩人で作家の東田直樹氏のテレビがありました。興味深く見ました。東田氏、自閉症の子を持つアイルランドの作家、ガンを患ったテレビディレクター。東田氏の認知症の祖母。登場する人の関係性が静かな対話のなかで浮かび上がっているように思いました。そのなかで東田氏とディレクターの会話があり、生きて、子を育てる、そういう命をつなぐことができない、命のバトンをつなげないと自身の不安を伝える若いディレクターの言葉に、東田氏は、人の生はそれぞれに完結する、それを生ききる、と自分の思いをはっきりと告げる場面が特に印象的でした。東田氏は個の生、自分という命、にとっては自閉症という個性すら根源的には意味のないものと考えているように思いました。確かに、個性の尊重といわれることがありますが、個性とはそうでないものが付ける印に過ぎないと思うことがあります。性格やクセ、顔や身体の見かけの違い、多くの個性とは何かを何かと区別するための印のように思います。それに比べて、東田氏のいう個の生、とは自分とは分けることのできない、印を付けることのできないこの自分という塊のようなものかもしれません。それぞれに完結しているといいます。個性とは次元の違うもののように思います。
 誰もがそのような個の生と、もう一方で社会のなかに含まれる個人や個性、人間の関係性、などの二つの次元を行き来して生活しているのかもしれません。そのなかで東田氏はそれぞれの生は完結している、そしてそれを生ききる、という、さらに個の生を完結させなくてはいけない、といったようにいま記憶しています。その言葉はたいへん重い言葉だと思います。番組の中では東田氏もまた登場する一人ひとりと、また認知症の祖母との間の交わりの中で戸惑い、思考している姿が映されます。番組を通してそのように思い悩み、揺れ動き、言葉を交わす、そういう人間の姿を見ていました。ボクにとって生ききらねばならないボク自身の生とはなんでしょう、みなさまはどのように考えたのでしょうか。

2016年12月10日土曜日


十年ぶりに育苗ハウス、少し移動させて、少し伸ばします。今年は猛烈な日差し、ガラス質の火山灰、地震の揺れ、めずらしくハウスのビニールが破れました、寿命もあるでしょう。納屋もできたことだし、農業資材の片付けのタイミングです。しかし仕事のなかで、タイミングばかりが大切ではないです。今までもそんなタイミングはたくさんあった。性格的にほとんど大掃除なんてしないタイプですが、衝動的にハウスの移動を始めました。螺旋の杭を五十本も抜けば汗だく。溜まったビニール資材にうんざり。それでも天気にも恵まれて、順調に進んでいます。気分も爽快?まあまあ爽快。 あと数日は元気にやれそうです。


















2016年12月8日木曜日

河川の復旧が進んでいます。道の上までが応急復旧が完了した様子です。大型重機も次の現場に。二ヶ月で川の土石流がなくなり、川が現れました。川の右手はまだ手付かずの畑。石も、葦も生えていない、こんな川だったのです。川というか、水路ですね。







寒い夜は野菜は作業場の中で毛布の下に。
阿蘇も空気がだいぶ冷えてきました。

2016年12月7日水曜日

この冬のニンジンがもう少しで太ります。寒さの前に葉つきで出荷を始めています。ニンジンの種まきは夏から秋にかけて4度行いましたが、3度目のものです。品種は黒田五寸。阿蘇の黒土はニンジンには適しています。夏のものは元肥を必要としません。今年のように地温が高いと太りすぎるかもしれません。秋にまきこれから太らせるには堆肥を使用するのがいいと思います。