2016年5月11日水曜日


 
 地震3日目、朝8時消防に合流、13分団は激震地での行方不明者 捜索活動。熊本地震は熊本の広範囲に大きな被害をもたらしましたが、震源に近い地域ほど明らかに激しい被害を受け、さらに南阿蘇は地震によってもたらされた土砂災害が複数の場所で被害を深くしていました。
 リュックに飲料水、配給された携帯食を詰め、スコップを持ち、現場に向かいました。周辺は明らかに自分の住む地区より被害の大きい場所でした。2班に別れ材木や家屋の破片の運搬作業、交通規制を行う。現場では地元建設会社の作業員が重機を操作、消防の先輩の顔があります。自衛隊、レスキュー、警視庁などの特別隊員が活動を行っていました。多くは自分よりも年齢が若い絞られた体型の隊員ばかりでした。4年前の九州北部豪雨を思い出します。あの災害からこんなにも早くさらに大きな災害にあうとは思いませんでした。交通規制では報道の車両が現場に近づきすぎ救助作業の妨げになるため、規制をかける。大規模災害では、自衛隊、警察、消防、そして自治体、組織的な活動が基本になり、自分たち半ボランティアの消防団はそのあいだ、後方にいます。 いることが役割のような状態でもありますが、そんななかでもチェンソーを扱える団員は自衛隊の人に代わり、目立てをし、そのほかはできることをただ行いました。
  この現場は最初の夜に救助を求めていた男性のいう場所でした。同じ村なので知らない人ではないのです。複雑な気持ちもあります。この場所に早く駆けつけた隣の消防団の男性、友人でもある男性からの話も聞いていました。災害の現場ではほとんど全員が被災しながらの行動になります。様々な状況で、被害の状況も様々、ただ同じ地域なので、自分が何かをすれば誰かのためになる、そういう感覚は、残っていたと思います。

日没前、畑に戻り、苗のハウスを閉めました。空気が冷えていたからです。明日は天気がよくなるでしょう。やがて雨も降ります。植えられるキャベツやレタスは植えてしまいたい、できることならばゴボウの種を蒔きたい、里芋を植えてしまいたい。ヘリコプターも飛んでいましたが、明日は畑に出たい、そう思いました。
電気や水道の復旧が一部の地区で近づいていました。早いです。多くの人のおかげで自分たちは生活を取り戻そうとしている、まだまだ混乱のさなかでしたが、記憶もあいまいですが、この頃から、圧倒的な物資が届きはじめ、応援が来てくれて、避難所でまたその日一日を送り続けていました。







次の日、自宅の電気が通電し、PCが動いたので避難所で写真を撮り、ブログを更新しました。同時に自分や家族に寄せられた多くの連絡を見ることができました。ありがとうございました。
 以上が急ぎ足でしたが、ボクからの報告です。家族の一人ひとりはまた違う思いでいたでしょう、恵佳もボクの知らない様々な行動をしていたでしょう。そのほかの多くの人もそれぞれの体験、行動、思いです。
ボクの記憶の中の最初のころの出来事です。それ以上ではありません。早く地震のことを出してしまいたい、そんな気持ちもあります。忘れそうなものを最後に思い出してみました。





 
 

2 件のコメント:

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    1. ロック店長、コメントありがとうございます。ではこの続きはボクの納屋か、店長のお店で!楽しみにしています!

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