2020年6月18日木曜日
雨が降り出し、きょうの午後、夜、明日の朝、強く降るそうです。
昨日は「おてんとさん」の子どもたちと畑。キュウリ、かぼちゃ、サツマイモを植えました。賑やかでした。自分は自分の畑に、ニンジンや、かぼちゃ、ごぼう、オクラの種を蒔きました。雨の前は何かと忙しくなるモンです。
今日は一転静かな雨。それでも畑にはきのうの余韻、が残ってます。
畑の畦にねむの木があって、うちの子たちが小さいときにつくったブランコがあって、雨の中ブランコに近づいてみると、小さな長靴が、わすれもの。
はだしで遊んだんでしょう、、、少し雨に濡れてしまいましたが回収しました。
よくあることのような、誰かのわすれものひろってうれしいような、 さびしいような、出来事です。小さな子を育てているときには、しょっちゅうこんなことがあった気がします。おてんとさんの子どもたちがきた後には、何かしらわすれものがあって、小さな軍手だったり、帽子だったり、靴。くつが一番多いかな。
それ以上に、きょうのような少し静かな畑には、わすれもののような、余韻のような、忙しいきのうの作業の熱気、疲れ、のようなものが残ることがあります。畑の土に残った足跡をあらためてみたり、畝の曲がりに気づいたり、笑い声や泣き声を思い出したりします。これはなんでしょう。残響。きっと、覚醒しているとき、仕事をしているとき、必死なとき、とはちがう脳の状態があって、疲れて、ただ畑にいるときには、そういう畑に集積した今までの記憶が、無秩序に脳に浮かんでくるのでしょう。そういうときに、そうだねむの木のほうへ、誘われて、ブランコの近くに足を運び、そこに履き忘れた、小さな子の長靴を発見するのでしょう。探すわけでもないのに。長靴に呼ばれて。
もうすぐねむの木の花も咲きそう。
まだ雨が小ぶりなうちに収穫です。無事にお届けできるでしょうか。
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