2017年3月12日日曜日


今朝もラジオから地震のニュースが流れます。鹿児島震度3、福島震度4、心配が続きます。漂う匂いのさきにはジンチョウゲが咲き始めています。
3月11日、石巻の日和山に多くの地元の方が訪れた、と聞きました。ヒヨリヤマというのは主に漁師が観天望気、漁のタイミングを見定めるために登った集落の小高い山だといいいます。古くはその集落の長老が様々な日取りを決めるために立った場所。震災の時には多くの方が避難所として目指した場所かも知れません。
日和見、という言葉がありますが、いまでは弱い言葉になっていますが、日和見という言葉は天気を判断し、行動する、そういう意味です。それは本来は漁業にしろ農業にしろ、様々にしろ今以上に自分や集落の生活の、命の存亡に関わるものだったのですから、天気を見ることに命を懸けたものだったと思います。長老や、王の仕事、王権の一つです。
そういう場所は場所であると同時に、集落のカレンダー、暦の中心でもあり、時間でもある、そう思います。
ヒヨリヤマ、という場所は世界を見渡す小高い丘であり、そこに命がけで立つという態度は、その世界を支える、ということになると思います。

ニュースや報道で多くの方が今も海の見える日和山を訪れる、そう聞くときに心が痛みますが、そのそれぞれの方が必死にそれぞれの方の世界を支えておられる、そういう姿に深く励まされます。
「津波てんでんこ」、「命てんでんこ」、大変なときには各々が、自分の命を守る、東北にはそういう古い教えがあるそうです。
ボクたちはもういつ災害にあってもおかしくない時代を生きています。災害に限らず大変な状況は今の暮らしのすぐ隣にあるのかも知れません。皆で支えあってより安全な生活、仕組みをつくることは大切です。一方でてんでんこに、ひとりひとりが自分の大切なもの、それを自由に表現し、そして守る。自分のヒヨリヤマ、日和山に立ち、それはもうどこでもいいはずです、ベランダでも、路地裏でも、田の畦でも、窓際でも、その場所に立って、その場所から心を寄せていく、ぼくたちもそういうヒヨリヤマに登ろう、と呼びかけたいです。

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