やがて、4月16日、熊本地震の本震から一年になります。まだ少しさきですが少し胸が苦しくなります。季節が近づいてそれらしい雰囲気になってきたからでしょうか、農作業がやがて同じ時期になるからでしょうか、普段なら折り目正しく季節を迎えることが自分の仕事だとも思っていますが、記憶がよみがえることが少し苦しいです。
自然の怖さを知れば、何も知らない子どものようには行きません。大きな土砂災害がありましたので、春になり、雨が降れば、今までなら何でもない雨なのに、足がすくみます。必要以上に排水のための溝を掘り続けます。
ひとは時を重ねて生きていくと言いますが、一年一年を重ねるには、重なるものは同じような形でしょう。上が平らで、下も平らで、きれいにたたんだ洗濯物のようなものならば、上手く重なるでしょう。でもそればかりではないですね、自然に重なるような年月ではなくて、乗り越えていくような、波のような時間もあります。部屋の隅にぐちゃぐちゃになった服、捨てるのに捨てられない、そんな時間もあります。
ボクの仕事は季節を進めて、野菜を育てることですが、そんな仕事が苦手な人もいるでしょう。ボクですら一年というときを重ねることが今年は苦しいのだから、時など重ねたくない、折り目の正しい、お行儀のいい時間などには生きられない、そう感じる人もいるはずです。 つらくて悲しい思いをした人なら、たとへ一年という時間、節目でも、そっとしておいてと思うかもしれません。
一年という節目など、関係ないですね。そう思うこともいいかもしれません。眼の前のことを淡々と進めていく、胸がドキドキしようが、なんだかやな記憶がよみがえろうが、 気にしてもしょうがない。そう思うのもいいかもしれません。
どっちにしても一年を生きていくしかないのですから、どんな気持ちなるかもわからないのだから、いつだれが突然どんな気持ちになっても、そういうこともあるかもしれないと、今思います。たとえそれがカレンダーの日付と合わなくても、人にはなんだか変な気持ちだなーと思うことがあるのではないでしょうか。大きな地震の記憶でも、個々人の大切な記憶でも、変な気持ちだなーと思います。ボクも今変な気持ちだなーと思います。もしかして、ただの中年体質の動悸や、息切れなのかも。水分不足かもしれません。
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