2020年4月28日火曜日
堆肥を注文。配達員と歓談。農業は人気のようだ。堆肥が売れているそう。
地震だって、コロナだって関係なく、田舎では、車ないお年寄りには移動販売車。
今回は6tだ。
堆肥を撒く隣で、牧草の一番草の刈り取り。いい匂いだ。
畦から牧草を見る、いい匂いだ。畦に座ると、ボクは無意識に草を食べる。クセだろう。父親も同じように食べていたので、遺伝か。
自分は少年期、酪農の研究員だった父親の職場内の宿舎に住んでいたので、大きな牧場の中に住んでいたようなものだった。広大な牧草の中を近所のちびっ子と走り回り、かくれんぼをし、日が暮れるまで遊んだ。その経験があるからか、牧草の刈り取りのにおいが心地いい、懐かしい。
自分は動物で言えば、牛だと思うことがある。まず、草を食う。ほぼ畑に座れば必ず食う。草の生えているところでは、ほぼ間違いなく草をくわえる。父親も同じように草を食う。そして牛を育てる仕事をしていた父親に育てられた。父親の作業着には油とサイレージの匂いがしみこんでいた。その影響もあるのだろう、今農業をしている。今日も一日牛糞の堆肥を夏野菜のために畑に、撒いていた。
草を食い、牧草の匂いにうっとりとして、牛糞を畑に蒔く。ほぼ牛だ。このことを時どき不思議に思っている。自分はたぶん牛だろう、とかなり真剣に考えている。そして大抵、同じようなことをいつまでも繰りかえしぼーっと考えている。反芻している。
今日の様に晴れて、牧草の匂いが風に運ばれてくるときには、否応なく、そう思う。
ということで、もう、解除だ。今日も朝、新聞販売店の店員と歓談。彼はパチンコが好き過ぎる気がある。コロナ下でのホームレスに十万円が渡せるかを心配している。仮設をホームレスに開放しようという。そして、堆肥の運搬をしてくれた作業員と歓談。薬を開発した奴は億万長者だと笑った。そして牧草を刈る大型トラクターの農家と歓談。今日6町の草を混ぜる。天気予報は信じすぎないようにする話をした。信頼できるひとだ。一日にこのように外出し歓談するのは、人との接触5割り増しだ。とても気分がいい。
子どもたちも抑圧から彼らの世界に、彼らの日常に解放していこう。もう、十分だ。何か方法はあるはずだ。まず子どもたちから。
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