2019年12月16日月曜日


 ホウレンソウのできる頃に、いつも思い出すことがあります。
 むかし父親が仕事をしていた頃、父は畜産酪農の研究者、技術者でしたが、ある時期、那須のトラピスト修道院で牛を飼うことになり、指導に行っていました。ちょうど今頃の季節だったと思います。夜帰宅した父が平たい、うすい菓子箱をお土産に持って帰りました。子どもだったボクはきっと「なになにー」と無邪気にお土産に飛びついたろうと思います。ふたを開けると、小さなクリスマスカードと、緑色のリース。何か様子が違う。あれっと、戸惑った記憶があります。それは確かにクリスマスの雰囲気でしたが、実はリースではなく、一株の「ホウレンソウ」だったのです。え、なにこれ。そんな子どもの様子を父はきっと笑ってみていたと思います。 それはきれいな、濃い緑色で、平たくそのロゼットの形に開いたホウレンソウでした。父は嬉しそうだったように記憶しています。ボクもうれしかったと記憶しています。だって、それほど美しかったから。
 どうしてこれもらったの?だれにもらったの?どうしてこんなかたち?父に聞くと、修道院の人たちの自家用のホウレンソウだよ、広く植えて、寒いとこういう形だよ、と教えてくれました。

 そんなプレゼントはあれ以来一度も見ません。平たい白い菓子箱に一枚のクリスマスカードと、ホウレンソウひとつ。

 ボクはいまでも毎年それを思い出します。あんなに立派なホウレンソウにならないな、と思いながら。でも、プレゼントのように野菜を届けたい。野菜だって立派なプレゼントになる。それを実際体験したのだから、自分だってそんな野菜を届けたい、きっと農家になろうと思ったときに、ひとつのきっかけになったのは、この体験もあるな、と思います。

もっと、寒く。
雪虫は、つぶさない。アブラムシの仲間だけど。

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