2020年6月18日木曜日
自家用の小松菜のリクエストがあったので、畑の小松菜を。
この小松菜は、コロナ騒ぎのなかで、三密やさい、として試験栽培、露地栽培したものです。
普通無農薬栽培では、防虫ネットを使用します。虫との接触機会を削減するためです。かび、ウイルスなどとの接触を避けるためにハウスで、水耕栽培、ビニールマルチを使い、微生物、かび、ウイルスの温床そのものの、土壌との接触を避ける栽培法もあるでしょう。
そこらへんもテキトウに、とにかく露地栽培。濃厚接触歓迎の無農薬。
見事に虫に食われています。それでもモザイク病などのウイルスにはいまのところやられていません。
農業は、それ自体が「新しい生活様式」の連続です。農耕は、人間の歴史300万年のなかで、わずか1万5000年前に発見された、新しい生活様式です。新しい生産様式か。品種、栽培方法、などは人間の生活と密着し、味、形、色、規格、輸送性、インスタ映え、経済、物語性、さまざまな人間の生活からの要請をうけて、食料が生産され、野菜はつくられ、育てられています。そのなかで有機栽培は、いわゆる慣行栽培と、実はふたごのような、新しい生産様式です。
一方で野菜は、植物として自然、野生との境界にあるわけで、土壌、気象、季節などと結びついています。 ここにはまだまだ、未知の部分がある、これは確かで、へんな言い方ですが、わからないところ、未知のものーが確かにある。そこが面白く、いろいろな生活、文化の源になっているのではないかと思います。
新型コロナウイルスについて、その本体はほとんど未知、ほとんどということはないか、まだまだ分からない。ただ、「経験的に」いろいろなことがわかってきて、日々更新されています。検査にしろ、医療にしろ、対処的に、経験的に、そのような性質を浮かび上がらせる、そのような症状だと観察できる、のだと思います。科学の網の目をかぶせてもなかなか本性を見せない、弱くてやっかいなコロナウイルス。ウイルスの性質だと思い込んでいるものの多くが、それを認識する社会の性質だったり、医療の仕組みだったり、そこから照らされる自分たちの行動、のようにも思えます。
ウイルスと社会に、特に過剰な恐怖心、監視社会、無邪気さ、というか事なかれ主義か、に警戒しつつ、しぶとーく自分の生活を続ける、これしかないのでは。
追記。
事後的、経験的でいいから、新しい事実、経験をたよりに、行動したいということです。
未知や、わからなさ、に留まる理由はないのですから。
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