2022年6月11日土曜日

小雨の朝、かぼちゃ畑に行くと蜂の羽音が聞こえます。写真は花粉まみれのミツバチ。

自分はこんな雨では交配できないな、と諦め掛けていましたが、花粉にまみれたミツバチを見ているうちに、自分の考えの浅はかさに気づきました。

確かに人間の生産活動を中心にすれば雨の日の受粉の難しさも、ミツバチの活動も、例えばビニールハウスにかぼちゃを栽培すれば、一番効率よくかぼちゃの実を育てられる。天気にも虫にも関係なく、かぼちゃと人間だけの関係がシンプルで効率良い。

でもその考えは農業という世界のほんの一部。農業は人間の生産活動であるというのは農業の一つの側面に過ぎない。広く深く考えれば、人間も農業の一部分。そこには自然の複雑な関係の網目があって、人間とカボチャ、かぼちゃと天気、かぼちゃとミツバチ、その網目を全て把握することは不可能でしょう。ミツバチとモグラ、ミツバチと太陽、無限に繋がって行きます。

つまり花粉にまみれたミツバチを見ると、「ああ、ミツバチがズッキーニの花粉に喜んでいるのなら、それでもう十分。農業をしていてよかった。」そんんな気持ちにもなるのです。例えズッキーニやカボチャの受粉がうまくいかなくても、カボチャが売れなくても、もうミツバチのために少しでも畑が役に立ったならそれでよかった。畑にはそう思える瞬間が時々あると思います。

人間のためだけはない、誰々のため、という目的を超えた畑を続けよう。そう思います。



 

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