2021年3月5日金曜日


 今日の熊日の科学面。昨年の11月に発表された気象庁の業務変更についてのまとめ。おもろいな。 

 昨年の夏の熊本豪雨の際、災害の大きさの中で「なぜ命を守れなかったのか」という厳しい声が上がって、その際に線状降水帯の発生と影響の予測、その精度がもう少しでも高ければ助かる命があったという。その様な気象現象とその深刻な影響を受けて、気象庁の観測業務の中で観測から予測への重点移動があったのだろう。
 ただその変更が必要であることとは別に、観測と予測のあいだ、観測と予測のお互いに補い合う関係性の意味は確認されるべきだと思う。気象観測を身の回りの生活の認識の仕方に置き換えれば、結構面白い。

 

 気象予報士の森田正光氏の次の意見に頷く。

「気象庁に問いたい。動物季節観測の完全廃止は、気象業務法の精神に反するのではないhttps:ろうか」

https://news.yahoo.co.jp/byline/moritamasamitsu/20201110-00206109/


 気象庁の予報官が生物季節観測をしないのはさみしいな。森田さんの気象業務法の精神、法律の体系っていうのは面白い話。

 そして自分はというと、ようやく星星や身の回りの生き物に関心が出てきたぼーっとした人。


以下、メモ。いずれまたブログにまとめたいと思います。


「観察者」とは
「観測と予報」とは
観測とは観測できなかった事を確認するというのも立派な観測と言えるでしょう。」


役に立つものと、役に立たないもののこと。観天望気と暦、王権と暦、農事暦の実際。日和見。日和山。ヒジリ、日知り、聖。宮田登。ゲーテ、シュタイナーの自然観察。形態学と原型。

農業という実際に大切な日常世界の感覚、共通感覚。

地区、集落という小さな共同体のつながりと逸脱の中での呼吸。


何もないというものの居場所。ただ見ている、という態度。

季語の発生 俳句の軽さ


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